ふたりのゆうれい
初出:22020年4月3日 19:44
魂以上、骨未満。ふしぎな状態のパパルチ。チューチューします。甘えん坊モードなパを書きたかった。
唇を、離した。
銀の糸が、ふたりのあいだの僅かな隙間をつなぐ。互いの手は絡げたまま。
川岸に沿って枝を張り出す花盛りの樹木から、おびただしい小さな花弁が舞い落ちて、銀河のごとく帯をなしていた。
花弁は二人にも降り積もる。
小舟の舳先にかかげた橙の燈籠が、川面の揺らぎに合わせて、呼吸をするように、ゆっくりと上下している。
川はかつて地上にあった水の大きな流れである。
いまは月のねばねばとした鉱油で模してあるが、暗闇の中にあっては穏やかな水音をもよみがえらせていた。
白く長い衣を羽織った者は、櫂を握り直し、川の中州に組まれた石垣に寄せた。
「もうすこし、休みませんか。……パパラチア」
船頭は奥に座った客に向かって問いかけた。最後の客の名は、ためらいがちに。
名を呼ばれたほうは、おもむろに首を動かす。
彼の頭上から舞い落ちる花弁の一つ一つが光を帯びていて、その豪奢な赤橙の髪に煌めきを与える。
ひとたび瞬けば、その役目を果たしたとばかりに黒い水面に落ちて消えていく。
「わかったよ、ルチル」
パパラチアはすこしだけ微笑んで腰をあげた。
ルチル、と名を呼ばれた船頭は、答えずに石垣を先に登った。
四阿の簡素な木の長椅子に組み敷いた船頭を、パパラチアは静かに眺める。
綺麗に撫で付けられた髪をわざと乱すと、髪の間から鋭い刃の切っ先のような視線が飛んでくる。その瞳は、パパラチアのそれとは違い、肉から滴ったばかりの血のような昏さを帯びている。耳朶から首筋を撫でると、椅子がきいと軋み、四肢が跳ね、気取られまいと身をよじったのを見逃さなかった。
背筋に手を回し、首筋に唇を這わせる。息を呑む音、身を固くした気配を感じる。
服の中へ右手を滑らせる前に、船頭は口を開いた。
「あの橋の下から先は、あなたお一人で向かうのです、それは変わりませんよ」
パパラチアはだまって赤髪の内に指を差し入れ、かくされていた金色をいたずらにさらけ出す。
「おまえは、ほんとうに来られないのか」
くちびるを近づけると、顔を背けられる。
「ええ。わたくしは、この場に縛られた幽霊です。
魂より重く、骨より軽い、特別製の幽霊です。
あなたがいうルチルではありません。
あなたには帰る場所があります」
船頭はそう言うなりパパラチアの顎をつかみ、腔内に柔い舌を割り入れた。
「ほら、あなただってやわらかい。まがいものはお互いさまでしょう」
目の裏で何かが発火したような衝動にまかせ、下唇を強く吸ってやれば、あまい嬌声がひびく。
ますます情欲を煽られ、ルチル、ルチル……と、うわ言のように口の中で呟いては、腰を強く引き寄せる。
「……ひどく恋しいのですね」
気がつけば、胸元に引き寄せられていた。見上げた唇は、忍びこむように流れてきた花弁に照らされ、艶めいていた。
「まがいもののわたしにまで欲情するとは」
船頭はパパラチアの御髪を梳き、ありもしない熱を確かめるように、額をそっと寄せた。
「恋しければ、差し出せばいいのです」
花が吹雪のように押し寄せる。
絡げていた手は振りほどかれる。
また一人、取り残された。
仰向けの身に、一枚、雪にも似た花弁が落ちてくる。
それは胸元に触れた途端に、淡い光を放って溶けた。
【終】