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シンギュラリティ

​初出:2014年4月18日 01:18

ボルツとダイヤ

 その日は一日中雨が降ると決まっている日だった。
決まっている、というのはすこし言いすぎかもしれないけれど、でも、金剛先生によれば、

毎年決まった天気になる確率の高い日があるのだという。
それが今日。今日は一日じゅう、ずっと雨。月人の訪れる可能性は、ほとんどゼロ。
 朝礼の時刻からずっと大雨が降り続いていたので、人員の規模を縮小して、

戦闘力のある少数の宝石たちだけが見張りに出されることになった。
 持ち場に一番近い学校の出入口を陣取って、ボルツとならんで座り、雨空を見上げている。
厚ぼったい灰色の雲で閉じられた天から、水滴は止めどなく勢いよく降って来る。
 よく考えてみれば、その日を生きのびるか、月へ連れて行かれるかの運命さえ自分で決められないのに、

天気はまあまあ予測を付けられるなんて、不思議。
 僕たちはある意味、天気によって生かされているようなものかもしれない。

[

 天に向けてずっと上げていた首を戻した。ずっと上げていたから戻した。
これもよく考えてみれば、痛みなど良く分からないのに、まったく妙な話。
僕の中のインクルージョンがこの角度をいやがったのかしら。
でも、ボルツはずっと変わらず、鋭い眼光を空に向けている。
けして雨空が好みだからではない。
統計が破られて、雨の日でも黒い点が現れたときに、まっさきに用を果たせるように。
不朽不滅の、至高のダイヤモンド属として。

 ボルツの長く黒い髪は床に散らばり、僕の顔と高い天井と、入口の向こうに広がる曇天を艶々と映している。
目を凝らせば、降っている雨粒も見えるのかしら。
そう思って顔を近づけると、黒い髪はばさりと宙を舞い、すべて向こうへやられてしまった。
代わりに、ボルツの三白眼と視線が合う。

「いじわる」
「僕の髪の見張りは必要ない」
「だって、あまりに暇なんだもの」
「ならおまえは部屋に戻れ。誰も咎めはしない」
「ボルツだってちょっと目つぶってたでしょ」
「な」
「あら、図星」

 本気でうろたえるボルツを見て、まぐれもあるものだと感心する。
ならば必ず雨の降る日や晴れる日ぐらい、あって当たり前かもしれない。
少し気分が良くなって、後ろへばたりと倒れて、身体を縮め、そのまま壁へ転がってみる。

「どこへ行く」
「どこへでも」
「割れたら承知しない」
「転がる分には、力は分散するんじゃないかしら」

 本当のところは、よくわからないけれど。そういうことは先生に訊いたらいいのかしら。
ボルツはそれ以上僕に構うことをやめて、雨空に監視の目を戻した。
湿った風が吹きこみ、水滴が少しだけ鼻の頭についた。

 

 雨は一向に止む気配を見せない。
もし、今日だけでなくて、明日も明後日も、その先も、雨が降りつづけたなら、どうなってしまうのだろう。
陸は学校ごと水にうずまってしまうのかしら。
そうして、胡粉も足りないほど無残な穴だらけの姿を晒し海に沈む僕らに愛想を尽かして、月人は僕たちのことをあきらめてくれないかしら。

「――むしろ奴らには好都合だろう。奴らは僕らを割って加工するんだ。僕らの見てくれなんか関係ない。
海水に沈んで動きが鈍いなら、なおさらだ」

ボルツが向こうの方で呆れたようにかぶりを振った。

「わあ、僕ってそんなに分かりやすいかしら」
「髪の向こうまで透けて見える」
「もお、ひどいんだから」

 僕は拗ねたふりをしてそっぽを向く。相方の視線はそこまで追っている。
僕にはわかる。
それがこわいと思ってしまうのは、長く組んでいるくせに、その心の底をほんとうには覗いたことがないから。

「もし月人なんていなかったら、ボルツも戦わなくてすむでしょう」
「あいつらがいないなら、僕の価値もない。僕の価値は破壊のための道具。それだけだ」

 僕はボルツの方を向かない。沼の水面を叩く雨の音だけが強くなる。
そんなこと言わないで、とは言えなかった。
なぜって、僕も似たようなものだから。
でも、ボルツは続ける。

「だが、おまえはそうじゃない。僕はおまえと違うが、おまえもまた僕とは違う」

 舌の根も乾かずうちにとはこのことで、僕はボルツを見てしまった。
少し向こうのボルツは、僕をまっすぐ見ていた。
ずっと、見ていた。

「もし戦う必要がないのなら、おまえの、自分が役立たずだという発言も白紙撤回だ」

 ボルツは立って、僕の方へ音もなく歩み寄る。僕たちの距離が狭まる。
急に雲が増え、雨はますます強くなり、遠くで雷鳴がとどろく。
僕は寝ころんだまま言う。

「反対に、戦う必要のあるこの今では、僕は役に立たないわ。そうね」

こういうとき、この相方はけして言葉を使わない。あくまで賢明なのだ。

「でも僕は、ボルツの隣をやめられないの。僕たちの宿命でしょう、簡単にあきらめられないのは」
「だから腕の一本や二本、見逃せと」
「そういうのでもないんだけれど……そういうことになっちゃうのかしら」

 仁王立ちをしたままのボルツは視線だけで脅してくる。それだけで肌に罅が入りそう。
僕は慌てて先を続けてしまう。

「ボルツに本当にかなうためには、もういっそ土からやり直すしかないでしょう。
でもそんなの無理なわけだし、だからね、思いつく限りのことはできるだけがんばりたい。
そうして認めてもらいたい」

相方は僕を睨めつけている。生まれつきの目つきの悪さのせいだけじゃない。

「ごめんなさい、ダイヤモンドのくせに、みじめよね。ぜんぶ聞かなかったふりをして――」
「くだらんな」

 長い髪を軽やかに振って、僕の隣に腰掛ける。もう雨空を見るのはやめてしまったらしい。

「おまえが僕を追うのも、僕があいつらを粉にするのも勝手だ。
だが、おまえが傷つくのは許さない。おまえは、ダイヤモンドである前に、おまえだ。それを忘れるな」

 雷がひときわ大きく轟いて、稲妻が部屋の奥まで照らす。
なんて、回りくどいのかしら。
ついつい、苦笑してしまう。

「なぐさめられているのかしら、僕」
「どうとでもとれ」

 不意に、地面にだらんと投げだしていた右腕が持ち上げられた。
白い手袋が黒い指に、するすると脱がされていく。
名医に綺麗に直してもらった右腕の肌があらわになった。

「ふん、おとなしくしてはいるようだな」

腕の内側を、ボルツの指が、つーっと滑らかに通っていく。

「――ボルツ」
「なんだ」
「ええと」

なんて言ったらいいのかしら。

「――はずかしい、かも」
「は?」

だって、ボルツは寝ころんだ僕の上にほとんど覆いかぶさっている。

「この図じゃ、ボルツが僕のこと動けなくして、むりやりチェックしてるみたいでしょう。
そういうのって、ちょっと、ねえ」

黒い手がピクリと痙攣して、ボルツの身体は触れてはいけないものに触れたみたいな反応で、ものすごい勢いで飛びすさっていった。
けれど、自分の髪の毛の重さに負けてしまい、ちょっとだけ中途半端な位置でしりもちをついてしまった。

「おまえからその手の話は聞きたくない!」
「でもお、そう見えちゃうんだもの」

僕は身体を起こして、ボルツに近寄り、肩にそっと頭をもたげた。された方は固まっている。
この相方は、こういうことへの対処が、本当にできない。

「ありがとう」

黒髪の一房を取って、そっと撫ぜる。
ちらりと、様子を窺う。不機嫌そうにしているけれど、振り払われない。

「――髪をあれこれされるのは、はずかしい」

ボルツは何か言ったみたいだけれど、それは雨の音にかき消されてしまって、うまく聞きとれなかった。

「もう、僕たちも、引き上げましょうか」

応答は、なかった。
雨は、もうすこしだけ止まないでいてほしい。
この胸に生まれた気持ちについて、僕のインクルージョンと相談する時間が欲しいから。

​【終】

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