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豹変

​初出:2015年3月12日 22:05

ボルツとダイヤ

25~29話のあたりの想定。ダイヤとボルツ、ラストのおまけ話にフォスとルチルも出ます。

 音もなく、睫毛が揺れる。
ゆっくりと二つの瞳が開かれ、そのまばゆい瞳の向こうに、己の黒い影が映る。
その目覚めを見守るのは、誰の姿だったか。


 ダイヤへの見舞いは連日大賑わいだった。
皆、ダイヤの最後の欠片を連日血眼になって探しており、それがとうとう朝に見つかったのだった。
ルチルに介添えされつつ上体を起こしたダイヤは、ぐるりと皆を見回し、「ありがとう、みんな」とほほえむ。
もっぱらの話題は件の月人で、ダイヤは自分が意識を失ったあとの事の顛末を仔細に聞き出していた。
刻んだ月人のふわふわを惜しみ、レッドベリルのプレゼントに文字通り目を輝かせる。
病人のくせに騒々しいことこの上ない。ただ、自分の身に起こったことにだけは、こちらの様子を伺いながら曖昧にして言及を避けた。
思考の透明度は割れたところで変わらないのだった。

「お加減の良いことは分りましたから、そろそろ引き上げましょう。皆さんも持ち場に戻って」

医務室の騒々しさに堪りかねたルチルが言う。
ほうぼうから不満の声が上がったが、皆も日々の勤めを怠るわけには行かないので、渋々ながらも解散の流れとなった。

「ごめんね、ルチル」
「礼には及びません。まだ本調子ではないのですから無理はなさらないことです。
では私も回診へ行って参りますので、後は頼みますよ」


 最後は端で傍観していた僕に向けて言い残し、ルチルも医務室を後にした。踵の高く鳴る音が遠ざかり、医務室には静寂が訪れた。
僕はルチルのよく居る窓辺に座った。大きな窓からは陽光がたっぷりと射し、 背の高い草が風に滑らかになびき、医務室の日陰に埃がきらめいている。

「あなたも行かなくていいのかしら、今日はこんな良い日和なのに」

レッドベリルの作ったふわふわの月人にうずもれたダイヤは訊ねた。

「有給休暇だと」
「それでも剣は持ってるのね」
「なら行くか」

僕は腰を上げて、ダイヤの目の前を横切って歩み去ろうとした。ダイヤは継いだばかりの腕を伸ばして、僕の服の裾を掴んだ。

「行っちゃ嫌」

僕はダイヤに向き直り、僕等はしばし無言で見つめ合った。僕は寝台の傍にかがみ直して、ダイヤも満足したように寝台へ戻った。
純白の寝間着を纏ったダイヤは、今はきっちりと、完全無欠のダイヤモンドだ。

「今度こそ、もう駄目かと思ったわ」

ふふ、と乾いた笑みが天井に響いた。
僕が緒の浜で目覚めたときから、ダイヤがここまで砕かれるはずはなかった。また一つ失態が積み重なった。
手袋をしないダイヤの細い指が僕の頬に触れ、そんな顔しないの、と微笑む。
また割れると制したが、こういう時のダイヤは聞く耳を持たない。

「あのときね、僕、嬉しかった」

僕はダイヤと初めてタッグを外し、かつての三半と組んだ。
最初は戦闘の効率を追った成り行きだった。
アゲートの脚、合金の腕を得てフォスフォフィライトは大きく変質した。
生かせるだけの特質を得たのに、それを持て余す様をただ眺めているばかりでは何の益にもならないし、また僕の信条に悖る。
しかしその決断が、思わぬ副産物をもたらした。
床に倒れた無惨な肢体。四肢は鋭い切っ先に成り果て、顔は両の目も抉れていた。
瞼の裏にちらつく、おぞましくも美しい残像。

「僕はいてもいなくても同じじゃなかった」

あんな姿を見るのはもう御免だ。

「ありがとう」

また、兄は笑う。
あんなにも砕かれてなお、僕の叫びを聞いて心から嬉しそうに笑った、あの日のように。


「――ところで、さっきのあれ」
「は?」
「ほら、さっきボルツが行こうとしたでしょう。あれ」

ダイヤは軽やかに寝台を降り、わざわざ僕を睨みつけつつ、"なら行くか"と下手な声真似まで交えて、扉まで歩いていく。ついでに、壁に掛かった夏制服を手に取った。

「こうしたやつ。あんなの、僕が追わない訳ないと思わないかしら。どこまでも意地の悪い弟ね」
「……聡い弟を持って光栄と言え」
「そうね。そんな簡単な罠に引っかかっちゃうような、無能な兄としてはね」

無能。
――無能?
その言葉を聞くやいなや、僕は寝台から扉まで跳躍し、着替えようとしたダイヤを壁に押さえつけた。

「僕がおまえを蔑むくらいなら、まず粉にするのが先だ。
誰にもやらせはしない。僕が、この手で」

覆いかぶさる僕に、ダイヤは身体をこわばらせながらも、小さく笑った。

「僕がボルツの兄だから、僕は命拾いしたのかしら」
「分かればいい」

脱力したダイヤは、壁にもたれかかり、緩やかに床に座った。

「僕、あの時のボルツの声、忘れたくないわ。
ううん、忘れない。
僕がどんな小さな石ころになっても、どんな塵になっても……」

ダイヤの二つの瞳に、僕の黒い影が映っている。
その身が光を受けて輝く場所は、他のどこでもなく、僕の。


【おまけ】


「えーと」

窓の向こうから、まず末っ子が顔を出した。
つぎにルチルがフォスの頭越しに、金色の目をやたらと光らせつつ、わざとらしく咳ばらいをした。

「大変申しあげにくいのですが、ただいま戻りまして」

二人が目の当たりにしたのは、肌蹴たダイヤの胸元、それに覆いかぶさるボルツの姿。

「いやはや神聖な医務室をそのようなことにお使いになるのは、医者としてはいささか辟易しますね」
「ルチル……いつから見ていた」

ボルツの苦々しげな声が医務室に空しく響いた。

「いつ、ねえ」

フォスに視線を投げてよこすと、困ったように肩をすくめて見せる。おや、この末っ子、どこで覚えてきたのやら。
ボルツはダイヤを引っ立て、後ろ手に夏制服を掴んで医務室を飛び出した。
ふわふわが、と叫ぶダイヤにルチルが剛速でそれを投げてよこし、ダイヤがしっかと受け取ったのを最後にして、ボルツは振り返ることなく黒髪を翻して、長い廊下を突風のように駆けて行った。

「ほんと、みんなボルツと組んだ方が良い」
「まったくです」

医者は投球フォームから直って、大きく背伸びをし、ふっと笑って人気のない廊下の奥を見やった。

「ルチル?」
「ええ、今行きます」

そして、ルビーの入った椀を脇に抱えて医務室へ戻っていった。


音もなく、睫毛が揺れる。
ゆっくりと二つの瞳が開かれ、そのまばゆい瞳の向こうに、己の黒い影が映る。
その目覚めを見守るのは。
 

【終】

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