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kaleidoscope

​初出:2017年9月16日 02:42

パパラチアとルチル

・今回、割られる描写が結構あります。お気をつけ下さい。
・9/6、硬度9と6のパパルチの日に寄せて(が、間に合いませんでしたので16に投稿)。
・白黒の正気の世界観の地続き。時系列としては7巻45話、例の施術後あたりです。
 この二人には、なかば幻想の中に生きていてほしいのでこういう話が増えてしまう。記念日なのに。
・それから先生の「調整」のくだりは適当に捏造してしまったので気にしないで下さい。


 昼の空は薄曇りに覆われている。僅かに吹く風が薄茶色になりかけた草原を揺らしている。経験上、襲来を告げる鐘が鳴るのは時間の問題だろう、と見当が付けられた。
 ルチルはパパラチアを納めた箱にもたれその時に備えながら、何とは無しに声を潜め、切れ切れに続けていた問わず語りを再開した。やや傾き始めた陽の作る影は医務室の奥まで落ち、ルチルの脚はすっぽりとその影の中に入っていた。

「……つい先日まであんなにギラギラと陽が照りつけていたのに、ここ数日、めっきり秋めいてきたようです。でも、秋は本当に短いですね。いったい何の為にあるのかと思うくらいに……」

 ほら、今日も貴方の為にこんなに沢山、と箱に眠るパパラチアに向かって盆に盛った資材を見せる。無論、彼の瞼は開かない。
 パパラチアの上衣の前は、すでに開けてある。穴だらけの胸部には色とりどりのパーツが嵌る。ルチルはその内の一つを抜き取ると、新たに調達した資材に鑿を穿ち始める。程なくして、比べるまでもなく、元のパーツと寸分違わず仕上がり、みずから空洞に吸い込まれるようにぴたりと嵌る。幾たびも繰り返し身に叩き込んできたその作業の手を休めることはない。

「……私、これまでも歴史に残る大手術を数々残した自負はありますが、あれに勝る偉業は中々ありません。ああ、フォスのことですよ。今はもう、一番下の子じゃありません。あの子、とうとう頭まで失くして来て。信じられますか?……仲間の胴体に仲間の首を接合させる。鑿を持つ手が震えるような思いがしたのは、初めて貴方を治療したとき以来かもしれません。ああ、勿論怖気付いて手元が狂うわけはありませんからね。あしからず。
……今でこそ開いた仲間は私が治しますが、私達が生まれ落ちるときだけは、先生が整えてくださいます。
あの施術は、それに匹敵するような、何ともおごそかな気持ちにさせられるものでした。
あれからフォスは未だ目覚めません。一介の医者である私が担ってもよかったのか、今でも自信がありません。手伝ったジェードもそうでしょう」

 風はとうに止んでいた。薄曇りの空に、ぴしりと黒い亀裂が走る。

「さて、貴方ですよ。貴方、いつまでそこで眠っているのです?」

 亀裂から漏るように紅が滲み出し、空を瞬く間に浸蝕する。

「ばれたか」

 箱の中から応えるパパラチアの声はどこか愉しげで、かの憎らしい敵にも似た薄い微笑みが目に浮かぶようだった。

「ええ。いつぞやの、変な花に囚われた貴方。もう、それに意識を明け渡してしまったのではなかったですか?」

 欠伸をしながら起こす上体には、嵌めたばかりのパーツはおろか空洞すら存在しなかった。白く滑らかな膚に刻まれているのは、毒々しいばかりの、あの花の紋様。

「ああ、また性懲りも無く。趣向を変えたのですか?」

 好奇心に駆られ、手袋越しに、その紋様をなぞる。
この橙とも紅とも付かぬ色は彼の白粉の下の色だ。これを刻んだ分だけ彼の記憶は喪われるというのに。パパラチアは最初こそそれをはにかんで眺めていたが、ふいとルチルの手首をつかまえた。

「その辺にしてくれよ、くすぐったいから」

 そう言われても、ルチルは意味を捉えかねた。いずれにしても、彼に何らかの形で肉薄できたのかもしれない、と思うと、夢幻の中であっても、仄暗い征服感が一瞬身を甘く震わせた。

 パパラチアはルチルの眉間に人差し指をトンと置いた。

「おまえは俺のやり方が気に入らないだろう。こんな、月人を想わせるようなものばかり見せつけてきて」

 パパラチアは上機嫌だった。ルチルとてこんな形とはいえ、動く彼を目の当たりにできて何も感ぜぬ訳ではない。ただ、それを素直に受け入れられないほど上回る、強烈な違和と不快はどこにある。

「今の俺に、果たしておまえは必要か?」
 ああ、一瞬でも、このまやかしに心を許したのが誤りだった、とルチルは不覚を嘆いた。やはり、目の前の彼は、今度こそ月人の新たな罠かもしれない。邪険にその指を払いのけてやってもよかった。しかし、指の腹からじわりと広がる鈍麻感に頭の奥から支配されてゆき、身体は動くことを放棄しつつあった。

「たとえば元の俺の身体にルチルを埋めたら……その後のお前は、どうなる。そうしたら、俺はどうなる? 俺のままか? おまえになるか? あるいは、誰でもない者になるか?」

 指が眉間から鼻筋を通り、唇から喉に差し掛かる。指の腹の当たる僅かな存在感がルチルを蹂躙する。
蘇る、眼球の奥から押し上げられるような濁った流れの感覚。敵の罠などという思考の逃げ道を断つ、紛うことなき証。

 厭だ。やめて欲しい。離して欲しい。醒めて欲しい。口にするな、その先を。

「そうしたら、俺とおまえはどこへゆく? 俺はいいさ。どこへゆこうと。だが、お前はどうだろう」
「以前と答えの変わらぬ問答を何度もおやりになるほど、貴方は間抜けではないはずです。私は貴方をどこへも行かせはしない。私が貴方の部品として使われる? 本望です、そうさせはしませんけれど。
そして、私がどういう経緯で塵芥に成り果てたとしても、貴方のことを忘れるわけがないでしょう」
「そうか?」

 事も無げに、パパラチアは緩く握っていたルチルの左手首に力を込めた。ピキンと嫌な音がして、手首から先がだらりと曲がった。かろうじて留まるのは、手袋を嵌めているからだ。
 鈍い喪失の苦痛に伴って、目の前の濃い紅が揺らぐ。

「おまえと俺が、初めて会ったとき。おまえが、いちばん大事にしている記憶。どうだ? 思い出せるか」

 口を、開きかけた。声は、出なかった。

「俺もおまえを好き勝手したいんだよ。おまえが俺を好き勝手するようにな」

 パパラチアは、手折ったルチルの左手首の重さを確かめるように撓らせた。それと己とは既に切り離されてしまった筈なのに、まさにそれが、この身に一種の快楽を伝えてくる。

「このまま私を開き続けることが、貴方の望みですか」
「それは言えない、こんな昼日中では」

 彼の唇は半月型に釣り上げられ、同じように細められた瞳は燦然と輝く。
遠くの陽光など及びもしないほどの熱量を持って。
 その瞳に陶然と絡め取られてしまいたいのに。これが罠でなく己の織りなす幻惑なら、それが叶えられてしかるべきだろうに。

「貴方は、私を迎えに来てくれたのではないのですか。
貴方のいちばん深いところへ。
どうすれば、私はそこに降り立てるのですか。
この身に、貴方と同じ花を刻みつければ良いとでも言うのですか」

 彼の瞳は苛烈に輝くばかりだった。許しは与えられようもなかった。代わりに、ルチルの口真似が返って来た。

「どうすれば、俺は、あの時みたいに、おまえを止められるだろうな」

 パパラチアは、ルチルの願いを突っぱねるように己の首筋を見せた。
そこに刻まれているのは、もう隠したはずで、見たくもない、あの傷。

 ルチルは悟った。そして言った。

「貴方は未だにあの欲に操られて、囚われて、苦しみ、足掻いているのですね。
だからこんなにも、私を、ここに置いてゆきたがるのですね。
助けて欲しいと、仰るのでしょう。酷い話です。
私には、貴方の始まりも終わりも定められないというのを見越していながら」

 パパラチアはふっと視線を宙に彷徨わせた。
 再び視線がルチルと合うと、力なく微笑んだ。

「だからおまえは、かわいいよ。ルチル」

パパラチアはルチルの左手首を己の胸に這わせた。

「いいか。本当に囚われているのは……」

 耳の横を旋風が掠めて行った。振り返った壁に月人の矢が突き刺さっていた。
これほどまで月人の侵攻を許すとは有り得ない。仲間はいないのだ。従って剣もない。
ここには誰も辿り着けないのだ。雑が音も立てずに草を踏みしめて、直ぐ傍まで接近して来ていた。
丸腰の二人など、相手にするのも馬鹿らしいだろう。

「ひとりよがりで、かわいそうなおまえ。おまえを助けてやれるのは、俺ではないよ」

 数十はいるだろう雑どもは寸分たがわぬ微笑みを貼り付けて視界一杯に佇む。
抵抗してみろとでも言っているのだろうか。合図もなく全てが矢を番え、一斉に放たれる。
 パパラチアは耳を塞ぎたくなるような音を立てて躊躇なく自らの左腕を折った。
腕の破断面から砕け散った微小な結晶が塵のように煌めいた。

「行け」

 パパラチアは、ついぞ見たことのない、恐ろしい形相で吠えた。

「聞こえなかったか、行け。俺にできるのは……」

 槍が左腕の薙ぎを物ともせずパパラチアの首を容赦なく貫いた。

「おまえを守ることだけ」

 彼の頭部が髪に埋もれるように落ちてゆく様を、ルチルが目にすることはなかった。

 最後の言葉すら聞かずに、ルチルは駆け出していた。
 逃げ場がどこにもないことは分かり切っていた。それでも、彼は言ったのだ。

 行けと。

 

 

 鈍い鐘の音が夢想を晴らした。指先を伝う空気の揺らぎが現実を呼び戻す。
薄曇りだった空は、今は呆れるほど青かった。

 遠くで自分の名が呼ばれている。校内は帰還した仲間たちの気配で騒がしくなり始めている。

 ルチルは身を起こして、箱の彼を覗き込む。穴は依然としてそこにある。
瞼は固く閉じられて、また一つ不正解を生み出したことを意味していた。
上衣を軽く整えてやりながら、ルチルは抜けきれない身体の重さをやり過ごす。
 短い微睡みの中で起きた出来事は、よく思い出せなかった。今は触れるべきでないとさえ思う。

「私は、貴方を恐ろしかったことなど、一度もありません。けれど、……」

 彼を前にして、その先のどんな言葉も、投げかけられそうになかった。

 では、と言い残しルチルは仲間を迎えに行った。


 ルチルがパパラチアの緩やかな起動に立ち会うことはなかった。
 閉じられた暗闇の中で、彼はわずかばかり微笑んで、ふたたびの長い微睡みへと帰って行った。

【終】

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