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layerXXX: AFTERWARDS

 

 serial experiments lainアニメ放送開始20周年を記念した、くろぐろ様主催のアドベントカレンダーの最終日を担当させていただいた、しえと申します。まずは、この奇妙な(未完の)連作にお目通しいただき、本当にありがとうございます。

 以下では寄稿作品や引用した作品、私とlainについて書いています。


■寄稿作品『Lain's Christmas』について

 玲音とありす(と英利)のドールを作り、クリスマスのなんてことのないたのしい一日と玲音からありすへの巨大不明感情を表現しています。SNS隆盛の時代に一枚一枚ページ遷移の形式をとったのは、ゲーム版のローディング時間を表現してみたかったから……というのと、今のSNSプラットフォームでは出すことのできない、往年のテキストサイトの持つコンテンツへの没入感を表現したかったのとが半々です。


写真漫画
(1)玲音とありすがファミレスでクリスマスパーティをする話
 企画を拝見して真っ先に思いついたアイデア。クリスマス、もうこれしかないでしょ、と。本編では絶対にありえないような楽しいホリデーを描ければ良いなあ、と。ただ内容を掘り下げた結果、この漫画自体がなにやら不穏な予兆になってしまいましたが、まあいいか……と開き直って作り続けています。

(2)(3)今後の予定

 第二部ではlainにちょっぴり関連する詩を引用した作品(予想は付くかとおもいますが……)、第三部にエピローグを置いて、終わりにする予定です。ぽつぽつとUPした作中音楽カバー動画は、二部・三部の冒頭に挟みます。

 量的には大したことがないのですが不慣れな作業で大変遅延しております。申し訳ない。

■引用した作品について

 岩倉文也『傾いた夜空の下で』(青土社)

『その〈詩人〉は実在しているのだろうか』。SNSを中心に作品発表をしている、lainアニメと同い年の詩人(twitterアイコンに注目)。彼の詩の持つあきらめや無力感は、水や陽炎がゆらめくイメージと重なって、寄る辺のないうつくしさを放っているのですが、その一方で、「まだ生きることを捨てちゃいない」、という泥くさい叫びも聞こえてきます。

最後に

 lainとの出会いは4,5年前にゲームの実況動画を観たことから始まります。観ようと思い立ったきっかけは忘れました。たぶんtwitterなどで「皆の知らないやばいゲーム」としての知識があったのではないかと思います。

 

 肝心の内容に関してはまっさらな状態で、数本観ました。するとすぐに「この作品はただものではない」と気づき、あわてて考察サイトを読みあさり、以来ずっと自分の内側に居続ける作品となりました。それでも、lainについて共有し始めたのはごく最近です。というより「できるようになった」のが最近です。それまでは、口に出そうと(twitterに投稿しようと)思ってもうまく言葉にできずにいました。今でもできているとは思いませんが、20th記念同時視聴等による、ある種の「発声練習」と、乗るしかないこのビッグウェーブに、という気持ちの相乗効果で、ここまで至ることができました。

 

 ところで、lainでもっとも印象に残っている台詞を書きぬきます。

『私達には、あなたが何なのか未だに理解出来ていない。しかし、私はあなたが好きだ。

不思議な感情ですね、愛というのは』

 (layer10:LOVE カールの台詞)

 

 最初に観たときには、この人は好きという感情を投げるだけ投げて、ずいぶん身勝手じゃないか、と憤慨した記憶があります。たぶん、コードを痩せた身体に巻きつけ意識の朦朧とした玲音にひどく感情移入していたので、そういう感想になったのだと思います。

 

 しかし、実際にそういう少女をを目の当たりにして、気の毒、とか、哀れ、とかではなく、『好き』に至るのは奇妙ではありませんか? その前に現れたお父さん(すでに父ではなく、ただ近くにいた他人)もと同じく。そのくせ、二人とも玲音を置いて離れていってしまう。後には、打ちのめされた精神と肉体しか持たない玲音にまだ「愛して」と迫るいびつな神様しか残らない。

 

 『愛』とか『好き』とか、なんなんだ。

 ずいぶん混乱しました。

 

 いまは、その辺に関して、ふとした瞬間に「分かる」ような気分になるのですが、すぐに散り散りになってしまうのは変わりません。これからも変わらないでしょう。

 ちなみにタロウに関しては華麗にスルーしています。

 でも、最初の視聴時から一貫してわかっていたことがあります。それは、物語の最後で恐ろしく荒れ果てた岩倉家に分け入りやってきたありすが、あまりにも眩しくあたたかい救いの光だったということです。この物語は『lainという概念に関する一連の実験』という、ひとりの少女に対して向ける視線としては最悪の類の名前が冠されていますが、瑞城ありすは、その実験総体の完全な埒外にあった最大の誤算だったのではないか

 私のこの拙い二次創作は、そうした思いが発端です。

 ……ということを、こんなところで長文を撒き散らさずに、黙って作品に仕上げたかったです。(泣)

 この先はlain21thに向けてしまっておこうと思います。

 お付き合いいただき、ありがとうございました。 

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